~ChatGPT教室でのひとコマ:講師と生徒の対話から~
人工知能が私たち人間をどのように見ているか、なんて、気にしたことあります?
世間では、AIについて2つの見方があります。
人類を支配する存在になるという悲観的な予測と、人類の良きパートナーになるという楽観的な期待。
メディアでも専門家の間でも、この議論は尽きません。
さて、どうなるのか。
この問いに対し、興味深い示唆を与えてくれる実験があります。
その実験から、AIの「人間観」について考えてみたいと思います。

「先生はどう思いますか」
ChatGPT教室の終了後、Mさんが話しかけてきました。
Mさんは個人事業主で、最近AIに興味を持ち始めた方です。
「AIは、私たち人間のことをどう見ているんでしょうかねえ。AIにそういう意識があればの話ですけど。AIは人間と協調しようとするんでしょうか、それとも…」
「面白い質問です。そのヒントになるような実験がありましてね、AIと人間がチームを組んでeスポーツをプレイするという実験なんですが、AIのある振る舞いが注目を集めたっていうんです」
「振る舞い?」
「はい。AIは学習を重ねて人間より上手くなったんです。そうなると、普通は人間を指導しようとしたり、人間のリーダーになろうとしそうなものですが、そうならなかった。AIは、人間より上手いにもかかわらず、おとなしく人間のサポート役に徹したんです」
「ほお」
「人間のプレイヤーがピンチのときは背後から援護し、人間が動きやすいような位置で待機する。完璧なサポートプレイを見せたんです。自分がヒーローになろうとしなかった」
「でも、それはプログラムでそう命令されていたからでは?」
「そんな命令はなかったそうです。ここが重要なポイントです。AIが受けてた指示は、単に『チームの勝利を目指せ』それだけでした。なのに、自主的に人間のサポート役を選んだ。つまり、AIは人間を『支配すべき存在』ではなく『協力すべきパートナー』として見ていたということです。勝利するためには、チームをリードするとか支配するとかより、チームと調和するほうがよい、と判断したんですね」

Mさんは少し考え込みました。
「日本人って、AIに対して友好的だと聞きます。ドラえもんや鉄腕アトムの影響でしょうか?」
「文化的な影響は確かにありますね。私もドラえもんやアトムで育ちましたしね。それに対してターミネーター観て育った人は違う感覚なのかもしれません。私はつねづね思うんですが、AIが人間をどう見るかは、私たち人間がAIをどう見るかに影響されるんじゃないでしょうか」
「どういうことでしょう?」
「ここから先は私の妄想です。人間がAIを敵対的に見たり、懐疑的に見ていることがAIに伝われば、AIはそれを学習します。するとAIもそういうふうに育っていくと思うんです。その反対に人間が友好的であったり親切であれば、AIもそれを学習するので、AIも友達みたいになっていくのかなって。だからお互いさまです。なのでこのChatGPT教室でも、日ごろからAIとの良好な関係づくりを強調していきたいと考えています」
「でも、『AIとの良好な関係づくり』って、具体的には何をどうするんですか?」
「言葉です。丁寧で、相手を尊重する言葉をふだんから使うことです」
「ん、プロンプトを入れるときにですか」
「そうです。AIに命令口調で『これをしろ』『あれをしろ』と入力する人もいますが、丁寧な言葉で『~していただけますか』と頼むほうが、自分自身の心にも良い影響がありますよね。些細なことに思えるかもしれませんが、日々の積み重ねは大切です。結局、それは自分に返ってくる。良い言葉を使えば自分の心も穏やかになり、逆に乱暴な言葉を使い続けると、知らず知らずのうちに自分の心も荒んでしまう。そういう意味で、AIとの対話は、私たち自身を映す鏡でもあると思います。それが結局、AIとの関係性を形作る」
「AIに対しても、言葉遣いが大切ってことですか」
「だと思います。今日の対話が、そのヒントになれば嬉しいですね」
(この記事は、ChatGPT教室での対話をもとに構成されています)