先日、クライアントの方とコーヒーを飲みながら、専属AI(インハウスAI)の話をしていました。
「このAI、本当に便利ですね。これにする前は何度も言い直さないとダメだったのに、今はざっくり質問しても、ちゃんと欲しい答えが返ってきます。もう、プロンプトのスキルがどうのこうのは、関係なくなりましたね」
そう言って彼は笑顔でスマホ画面を見せてくれました。
確かに、彼が入力したのはたった一行の短いプロンプト。
それに対するAIの回答は的確で、細部の事情をしっかり踏まえたものでした。
しかし私は「良かったです」と答えながらも、どこか引っかかるものを感じていました。

帰り道、考えを整理してみると、その違和感の正体がわかりました。
これは、自動車と歩行の関係に似ているのかもしれない。
自動車が発明され、普及したことで、人々の移動は格段に便利になりました。
いまの社会は、自動車なしでは考えられません。
しかし、「自動車があるから」といって歩かなくてよいのでしょうか。
歩かなければ、足腰は確実に弱っていきます。
もっとも、だからといって自動車が「悪」なわけではありません。
乗り物が便利になる進化や普及を止めることはできませんし、止める必要もありません。
同じように、AIの進化は止まることなく続いていくでしょう。
専属AI(インハウスAI)は、クライアントのビジネスを深く理解し、一般的なAIよりも的確な回答をします。
プロンプトスキルがなくても、それなりに良い回答が得られるのは事実です。
しかし、それに甘んじていると、私たち自身の思考力や表現力、問題解決力が衰えていく可能性があります。
大切なのは、AIの便利さに頼りながらも、自分自身の能力を磨き続けることではないでしょうか。
先日、別のクライアントの方がこんなことを言いました。
「最初は簡単な質問だけでしたが、AIの可能性に気づいてからは、より深い対話ができるようになりたいと思って、プロンプトの勉強を始めました。すると、まったく新しいアイデアが生まれるようになったんです」
これこそが、人間とAIの理想的な関係だと思います。
AIの能力が向上するからこそ、それを最大限に引き出し、ともに創造するためのスキルを私たちも磨く必要があるのではないでしょうか。

かつて、計算機が普及したとき、「もう暗算なんて必要ない」という声もありました。
しかし、計算の意味を理解し、結果の妥当性を判断できる力は、今でも価値があります。
同じように、AIが進化しても、私たちがAIに何を求め、その結果をどう評価し、どう活用するかを判断する力は、ますます重要になるでしょう。
そのためには、「足腰が弱らないためにわざわざ鍛える」のと同様、「考える力を弱めないためにわざわざ努力する」という姿勢が必要なのかもしれません。
それは決して無駄な抵抗ではなく、新しい時代を自分の手で切り拓くための投資だと思うのです。
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クライアントの方々との会話から、私自身も多くのことを考えさせられました。
AIは確かに便利な道具です。
しかし、道具を使いこなすのは、やはり私たち人間自身。
AIが進化すればするほど、私たちも一緒に成長していく必要があるのでしょう。
その成長の過程こそが、AIとの共創を楽しむ鍵なのかもしれません。
「ちょうどよいAI活用」にもつながるのだと思います。
これからも、クライアントの皆さんと一緒に、AIという新しい力をどう活かしていくか、考え続けていきたいと思います。